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板垣李光人

板垣李光人 映画『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』チャリティ上映会 登壇!

 

戦火での友情を描いた、史実に基づく戦争漫画をアニメーション映画化した『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』(125日全国公開)。

11月27日(木)、イイノホールにて愛子内親王殿下御臨席のチャリティ上映会が実施され、声優を務めた板垣李光人、中村倫也さん、監督の久慈悟郎さん、原作・共同脚本の武田一義さん、そして上野賢一郎厚生労働大臣、ピーター・アデルバイ駐日パラオ共和国大使が本編上映前に舞台挨拶を行った。

舞台挨拶前には、板垣が本作品のアフレコ収録前の今年4月にペリリュー島を訪れた際の特別映像を上映。併せて、この日の上映会の売上の一部が、戦没者遺骨収集推進事業への支援と現在でも続く国内外の紛争や災害への人道支援を目的として「一般社団法人 日本戦没者遺骨収集推進協会」「日本赤十字社」に寄付されることも発表された。

当日は、愛子内親王殿下がご臨席され、会場となったイイノホールご到着時には、板垣、中村倫也さんをはじめ、武田一義さん(原作・共同脚本)、久慈悟郞さん(監督)、吉村文雄さん(東映社長)、西新さん(テレビ朝日社長)、そしてピーター・アデルバイ駐日パラオ共和国大使がお出迎えしました。

板垣と愛子内親王殿下は同い年であり、戦後80年となった今、戦争の記憶を次世代へ繋いでいく若者として、この場を共有することとなりました。

ペリリュー島で戦った兵士の大半は、当時の板垣と同様に20代前半の若者でした。
アフレコ前に作品と向き合うため現地へ赴いた板垣は、改めてペリリュー島に立った心境を問われると、「戦争は教科書の中で知るもの・見るものという認識でしたが、実際の地を訪問して島の土を踏む事で景色を見る事で、戦争が他人事・教科書の中のものではなく実際にあった歴史上の事なんだと実感が湧いてきました。その実感はアフレコする上でも助けになりました」と答え、当時を生きた兵士への想いを馳せた。

ペリリュー島で戦った日本兵は終戦の事実を知らず、また受け入れる事が出来ず、2年以上もペリリュー島に潜伏していたという衝撃的史実に、板垣は「当時の事を考えると胸が痛いです」と沈痛な表情を浮かべながら「実際ペリリュー島を訪問すると、当時のガラス瓶の破片など日本兵たちの生活の跡が沢山残っていて、それを目の当たりにすると知らなかった事実を感じられたし、本作に臨むうえでそこに対する敬意と思いを大事にして伝えていかなければという気持ちを新たにしました。このような貴重な場を頂きましたので、知らない方たちへ届ける橋渡しができたらと思います」と言葉を選びながら語った。

最後に板垣は「この作品は可愛らしい絵柄とは裏腹に、戦争の生々しさや凄惨な部分をしっかりと描いているので目をそむけたくなる部分や怖いと感じる部分が出て来ると思うけれど、皆さんにはその時に感じた気持ちを大切にしていただきたいです。その気持ちや本作を通して知ったことを他の方に伝えていく、“知る”という連鎖を生むきっかけになったら嬉しいです」と呼び掛けた。

上映後には、本日の上映会の売上の一部を寄付する「一般社団法人 日本戦没者遺骨収集推進協会」 「日本赤十字社」への贈呈式を実施。日本戦没者遺骨収集推進協会専務理事・佐藤宏氏と日本赤十字社パートナーシップ推進部部長・安江一氏に本作を代表して寄付金を贈呈した板垣は「20代の若者として何ができるのか、僕は表現者として作品を通して戦争の歴史やペリリュー島の事を伝える事が自分に出来る事だと思います。今日こうしてチャリティ上映会という貴重な機会を頂き、これをきっかけに何か一歩進むきっかけになれば嬉しいです」とコメントした。

その後、板垣と武田が囲み取材に参加。愛子様との対面の感想について板垣は「席に着いた際に愛子様の方から『同い年ですよね?』と声をかけていただき、上映後も『同世代として刺激を受けました』と言っていただけました。恐縮ながらもまさか愛子様と同級生トークが出来るとは思ってもいなかったので、非常に光栄でした」と感激。

映画の感想も伝えられたそうで「この映画が沢山の方に広がって、戦争の歴史も沢山の方に広がるように心から願っています」と激励されたという。

2015年に上皇、上皇后両陛下がペリリュー島を訪れて慰霊された事が原作執筆のきっかけになったという武田。「上皇上皇后両陛下が慰霊に行かれたからこそ、この作品が生まれた事に関して愛子様も感慨深いものがあるように伺いました。戦後80年で孫の愛子様が本作を観たというのは、愛子様ご自身も感じるところがあったようで、そのことについてもお話をさせていただきました。そして心に残った作品、この物語は残していくべきだとの感想をいただきました」と報告すると、板垣も「愛子さまは『運命的』というお言葉で仰っていましたね」と愛子様の言葉を伝えた。

愛子様との交流に当初は緊張したという板垣だが「本作に関して畏まってお話をするのかなと思っていましたが、愛子様もフランクに優しくお話をしてくださったので全体的に和やかな空気でした」とその人柄に触れると、武田氏は「板垣さんが過去に出ていたドラマですとか、今出ているドラマをご家族で観ているという話をしていただきました」と明かし、板垣は「…まさかでした」と驚いていた。

また愛子様の横で本編を鑑賞した板垣は、愛子様の上映中の様子について「真剣に映画と向き合ってくださっている気配が伝わって来ました」と回想し「我々が戦争に関わる機会が年々減っていく中で、映画として、一つのエンターテインメントとして戦争を伝える意義を愛子様にも感じていただけたと思うと、本作に携わって良かったなと心から思います」としみじみしていた。

映画「ペリリュー ー楽園のゲルニカー」は、来週125()公開。
ぜひご期待ください!


【あらすじ】          
仲間の最期を「勇姿」として手紙に書き記す功績係――彼が本当に見たものとは?
太平洋戦争末期の昭和19年、南国の美しい島・ペリリュー島。そこに、21歳の日本兵士・田丸はいた。漫画家志望の田丸は、その才を買われ、特別な任務を命じられる。それは亡くなった仲間の最期の勇姿を遺族に向けて書き記す「功績係」という仕事だった。
9月15日、米軍におけるペリリュー島攻撃が始まる。襲いかかるのは4万人以上の米軍の精鋭たち。対する日本軍は1万人。繰り返される砲爆撃に鳴りやまない銃声、脳裏にこびりついて離れない兵士たちの悲痛な叫び。隣にいた仲間が一瞬で亡くなり、いつ死ぬかわからない極限状況の中で耐えがたい飢えや渇き、伝染病にも襲われる。日本軍は次第に追い詰められ、玉砕すらも禁じられ、苦し紛れの時間稼ぎで満身創痍のまま持久戦を強いられてゆく――。
田丸は仲間の死を、時に嘘を交えて美談に仕立てる。正しいこと、それが何か分からないまま。そんな彼の支えとなったのは、同期ながら頼れる上等兵・吉敷だった。2人は共に励ましあい、苦悩を分かち合いながら、特別な絆を育んでいく。
一人一人それぞれに生活があり、家族がいた。誰一人、死にたくなどなかった。ただ、愛する者たちの元へ帰りたかった。最後まで生き残った日本兵はわずか34人。過酷で残酷な世界でなんとか懸命に生きようとした田丸と吉敷。若き兵士2人が狂気の戦場で見たものとは――。

■本予告
https://youtu.be/GY2ZCNmL3zs 

タイトル:ペリリュー -楽園のゲルニカ-
公開: 2025125日(金)全国公開
配給:東映
©武田一義・白泉社/2025「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」製作委員会

▽映画「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」公式サイト
https://peleliu-movie.jp/

▽公式SNSアカウント
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